何度もやり直して、何度も立ち止まって。
それでも私の中には、ひとつだけ消えなかった言葉がある。
今もその言葉が、静かに背中を押してくれている。
何度もリセットしてきた私
始めることは得意なのに、続けることはずっと苦手だった。
ブログも、配信も、「今度こそ」と胸の奥で小さく拳を握るのに、ある朝ふっと糸が切れたように手を離してしまう。
カレンダーの白いマスが増えるたび、“ちゃんとしなきゃ”という声だけが大きくなっていった。
リセットは、逃げではなくて、そのときの私を守る合図だったのかもしれない。
気力の残量が赤く点滅しているのに、前に進もうとするから、心が「いったん止まろう」とブレーキを踏む。
それでも私は、止まった自分を責めてしまっていた——
「また続けられなかったね」と。
「またリセットしたの?」
その声が届くたびに、胸の奥がきゅっと痛んだ。
責められているわけじゃない。
むしろ、心配してくれていることが伝わってくる。
だからこそ、その優しさに触れるたび、自分の不甲斐なさが浮かび上がった。
理解してくれていた人だった。
私の心の波を、言葉にしなくても感じ取ってくれるような人。
それなのに、また途中で止まってしまうたび、暗闇の中にひとりで放り出されたような気持ちになった。
何も見えない場所で、ただ自分の輪郭だけがはっきりしていく。
それでも不思議と、何度リセットしても「また始めよう」と思える自分がいた。
きっと心のどこかで、“それでもつながっていたい”という気持ちが消えていなかったのだと思う。
あの日もらった、ひとつの言葉
何度リセットしても、また始めればいい。
そう思っていた。
そして、あの人もきっと、それを分かってくれていると信じていた。
けれど、ある日その人は、静かに言った。
「もう配信は見に来ない」
その瞬間、心の奥でひとつの灯がふっと消えたように感じた。
けれど、同じ息の中で、もうひとつの言葉が届いた。
「配信は続けなくていいけど、ブログだけは続けてほしい」
その言葉は、不思議と痛くなかった。
むしろ、真っ暗な場所に差し込む細い光のようで、どこか安心する響きがあった。
“終わり”を告げる言葉の中に、“続けてほしい”という願いが残っていたから。
その言葉があったから、私はもう一度、ブログを開くことができた。
あの人の姿はもう見えないけれど、その言葉だけは、今も私のそばにある。
“ちゃんと”ではなく、“静かに続ける”ということ
あの日の言葉は、今も私の中にある。
「配信は続けなくていいけど、ブログだけは続けてほしい」
その響きは、もう誰かからの願いではなく、私自身を支える小さなお守りのようになった。
今の私は、無理をして頑張ることをやめた。
“ちゃんとしなきゃ”ではなく、“今日も少しだけ書こう”という気持ちでパソコンに向かう。
言葉を紡ぐたび、あの約束の温もりが胸の奥でふわりと灯る。
続ける理由を探さなくても、その言葉がそっと背中を押してくれる。
だから今日も、静かにページを開く。
守りたいのは、ひとつの約束だけ。
もし、今これを読んでくれている人の中に、「続けられない自分」を責めている人がいたら、どうか少しだけ、力を抜いてほしい。
やめてしまう日があっても、また始めようと思えたなら、それだけで充分だと思う。
私も、そんなふうに少しずつ続けている。
誰かの言葉に救われながら——静かに、自分のペースで。
最後に
あの日、あなたがくれた言葉は、今も私の中で生きています。
何度立ち止まっても、また歩き出せたのは、その言葉があったから。
ほんとうに、ありがとう。
あなたの願いを胸に、これからも静かに書き続けます。