双極性障害と社交不安障害を抱えながら生きる

「強めの不安発作と過ごす夕方」

今日は、久しぶりに強めの不安発作が来た。

場所はすごく日常的で、特別なことは何もしていなかった。

Steamでストーリー系のゲームを遊んでいたところに、いきなり「ガツン」と来た。

まず来たのは動悸。それから体のだるさ。

「やばいかもしれない」と思うより先に、身体のほうが勝手に緊急モードに入る感じ。

私の不安発作はいくつかパターンがあるんだけど、今日は“いきなり型”。

前ぶれがほとんどないタイプの日は、本当に厄介だ。

とりあえず私はゲームを止めて、頓服を飲んで、甘いものを口に入れる。

軽い発作なら頓服だけで落ち着くこともある。でも今日くらいの強さになると、薬だけではなかなか下がらない。

だから、そのあとはひたすら「何もしない」時間に入る。

横になったり、ぼーっとしたり、考えることすらやめるモードに切り替える。

体の中で警報みたいに鳴っている感じが、少しずつ下がっていくのを待つしかない。

でも、ただ苦しんでいるだけじゃない。

これは、何度も経験したからこそなんだけど、私は発作の真っ最中でもちょっと引いた場所から自分を見てる。

「今の動悸はどのレベル?」
「今のこれは、精神的なストレス由来? それとも集中しすぎた反動?」
「トリガーはどこにあった?」

そんなふうに、頭の中ではもう原因分析が始まっている。

私の場合、不安発作のトリガーはいくつかある。

肉体的な疲労。精神的なストレスや緊張。そして“集中しすぎること”。

ゲームって本来は「楽しいこと」のはずなのに、ストーリーに入り込みすぎたり、気持ちが張り詰めたりすると、その反動で一気にガツンとくることがある。

楽しいはずの時間が引き金になるっていうのは、けっこう致命的だと思っている。

だって、「これをしているときは安心」という場所がどんどん減っていくから。

たぶん、これが外で働くことの怖さにもつながっている。

もし外に出て仕事をしていたら、私は常に「次いつくるだろう」「今ここで来たらどうしよう」という恐怖と戦い続けないといけない。

そう考えると、在宅で働いていることは“贅沢”とか“甘え”ではなくて、ほとんど命綱に近いものなんだと思う。

夕方、強めの発作が来て、頓服を飲んでしばらく静かにしていた。

少しずつ落ち着いてきたけれど、まだ体の奥の方に、ざわざわとした感覚が残っている。

それでも、夕食をとって、夜の薬を飲めた。

そうやって「いつもの流れ」をこなすことが、少しだけ自分を現実に戻してくれる気がする。

こういう感覚は、うつ病――今の診断でいう双極性障害を発症する前には、まったくなかった。

あの頃は、不安発作という言葉すら、遠い世界の話だった。

けれど、今は違う。

気づかないうちに疲労がたまり、心がオーバーヒートして、身体がSOSを出す。

それが今の私の「日常」になっている。

だから、私は在宅で働く。

それは逃げではなく、自分を守るための選択であり、周りの人を守るための選択でもある。

この状態で外に出て働けば、きっと一緒に働く人たちに迷惑をかけてしまう。

自分の不安を押し殺して無理をすれば、周囲にも余計な心理的な負担を強いてしまう。

そう思うと、在宅という形は、私にとって“命綱”であり、そして“思いやり”でもある。

安心できる環境の中で、自分のペースで働くこと。

それが、今の私にできる精一杯の生き方なのだと思う。

強めの発作が来るたびに、「またか」と思う一方で、「今日も何とか乗り切れた」と小さく息をつく。

まだ体は重いけれど、こうして文字にしている今、心の中には少し静けさが戻ってきている。

もし、この記事を読んでいる人の中にも、「突然の不安」に襲われて苦しくなることがあるなら、どうか、自分を責めないでほしい。

不安は意思の弱さではなく、体や心が必死に“助けて”を伝えているサインだから。

薬を飲むことも、甘いものを口にすることも、何もできずにぼーっとすることも、全部「立派な対処」なんだと思う。

私もまだ途中だけど、こうして一日を終えられたこと自体が、ひとつの「乗り越え」なんだと感じている。

今日は、この静けさを大切にしながら眠りにつこうと思う。

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