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どうも、こんばんは。
久しぶりにノートPCを使う気になり、ようやく仕事モードに。
イヤホンで音楽を聴き流しながら、今日の出来事を振り返っています。
今日は当初の予定通り、車の車検後6か月点検+オイル交換をしてもらうために、家から近いイエローハットのお店に行ってきました。
車検も同じところでやってもらったので、かなり丁寧な対応に、自分としてはこれからもこの場所を使っていこうと思っています。
結果から話をすると、点検では異常は見られず、問題は何もないとのこと。
1回目の車検からもう半年が経過したことに、時の流れの速さを感じますが、とにかく車の状態が安定していてよかったです。
それからオイル交換もしっかり行ってもらい、フィルター交換込みで3500円ほどでした。
家に届いていたハガキを持参してほしいということだったので、ハガキを見せ、クーポンがあるということで500円引きになりました。
点検は無料だったので、結構お得感がありましたし、ウォッシャー液も入れてくれていて、対応の良さに感謝しています。
午前中には作業が終わって、とりあえず家に帰ってゆったりとしていました。
昨日からTwitterに記事botを導入していて、1時間に1回の感覚で過去の記事を紹介という形でツイートを自動化しています。
まぁ、メインのアカウントには適用せず、サブと3番目のアカウントに適用し、今様子を見ている最中です。
ツイートが重複しないように、ランダムでbot内にあるツイートを一通りツイートした後、再ランダムでツイートするように設定し、これならシャドウバンも防ぐことができるのかもしれません。
3番目のアカウントは、元々記事botとして運用する予定でしたので、ブログ内にも存在させていませんし、隠れたところで運用している感じです。
サブアカウントの方でbotを試すかどうかは迷いましたが、ブログへのアクセスを考えると、ツイートを定期的にしていった方が効率的で、少なくともツイートを見てブログに来てくれる人は、記事に興味がわいてくれた存在だと認識し、その先で、記事の内容を少しずつ詰めていこうかと考えています。
まぁ、そのおかげでスマホにはTwitterからの報告がしっ切りなしに来るようになりましたが、まぁその辺は問題ないでしょう。
今現在も睡眠障害を抱えていて、あまり眠ることができていないので、ブログ仲間と呼ばれる人たちと交流を持つチャンスなのかもしれません。
群れで行動することを好まない自分は、行動するときも一人が好きで、友達と街を歩いて買い物をしたり、そういったことが苦手です。
恋人とは別でしたが、それでも一人の孤独を自分だけのものにしたい、という感情は今も消えることはなく、仕事中も完全に自分の世界で仕事をするために、イヤホン装着で音楽を聴き流しています。
なぜ自分が一人で行動をすることを好むようになったのか。
それは、中学時代からある社交不安障害という病気に加え、自分自身が一人が好きだから、という理由でもあります。
今の自分の行動原理をすべて病気のせいにするつもりはありません。
もちろん、そこには自分の性格的な部分が多く存在していて、仕事において馴れ合いなんて無意味で、自分以外の人間は信用できないという信念が少なからずあることもわかっています。
まぁ、それを改善するために、この病気を受け入れ、ドクターや職場の人たちに見守られながら仕事を通してカウンセリングを受け、人格を正しい道に戻そうとしているんですが。。。
それは、自分が望むことなのか。
自分が人を信用しないのは、これも中学時代のことが原因で、当時の教員たちから屈辱的な扱いを受けていたことが影響しているのです。
生徒を守る立場の大人たちからの精神的な苦痛を伴う言動や行動の数々のおかげで、自分の心はいくつもの扉を作り出し、自分の心に入り込んでくる人間を拒絶するようになったと。
自分は何も悪くないのに、何が間違ってるというのか。
自分の心の扉を爆撃し、無理矢理入り込んでくるというのなら、仕事を失ってでも自分の心を守る方に走る。
この気持ちは、自分が鬱になったときに芽生えたもので、以前の自分だったら、感情を犠牲にして嫌な仕事でも頑張って続け、執拗なパワハラに耐えてきた。
だけど、自分の心を守れるのは自分しかいない。
心を侵略し、自分のことを内部から解き放とうとする者は、いかなる手段を取ってでも排除すると。
それが、自分の心を傷つけてきた、自分への償い。
点検に向かう車の中でずっと過去のことが頭に浮かんでいた。
なぜ自分は心を壊されても表情を変えず、怒りをあらわにしなかったのか。
自分を傷つけ、精神疾患という消えることのない苦しみを負わせた人間を、なぜ自分は許してしまったのか。
考えても答えは出ないし、今の生活を脅かす存在がいないのであれば、静かに暮らしたいと考えている。
A型作業所に通いながら、自分でも仕事をもって、いつか自分のことを本当の意味で解放してくれる人に巡り合うその時まで。
まぁ、欲張りな願いかもしれないけど、死ぬまでには見つかるだろうか。
会話のない静寂であっても、そばで佇んでくれるような存在が。
まぁ、無理か(笑)
多くを望みすぎると、すべて失ってしまう。
今の生活を壊すわけにはいかないし、それは親の意向ではない。
どんな未来でも受け入れると思っていた過去の自分は、もういないんだ。
未来に向かって、歩き出してる。
頑張ろう。
今度は、会社のためではなく、自分自身のために。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
また次回の更新でお会いしましょう。